✎4月、ピカピカの1年生✐

 なにわの里では、学びたいと思うスタッフを応援する制度があります😊研修費やそれに伴う交通費・宿泊費、というところを補助する制度なのですが、それを利用して4月から母校である関西福祉科学大学の大学院に聴講生として通うことになりました🌸週に一コマだけではあるのですが、「障害者福祉特論」という恩師が担当する授業を拝聴する予定です。  小池が学部時代に教わった最も大きなことは、「福祉は理論と実践の行き来が大切」という考え方です。現場は理論・理想通りにはなかなかいきません。でもそこでめげてしまうのではなく、今できることは何か考え、そしてそこで得たものをまた理論に還元していく…というサイクルが福祉哲学を磨くためには必要なのだと感じています。  写真は2020年4月の河内国分駅から大学までの桜並木です🌸40歳にしてまたピカピカの1年生、どんなことが学べるかとても楽しみです😊(小池)

📰社内報第2弾📰

 12月に社内報の第一弾を作成し、今回は第2弾です😊「わたしの好きなあれやこれや」のテーマは「子どもの頃、見ていたアニメ/漫画」にしました🌹  子どもの頃の事、皆さんたくさん覚えておられて、とても面白い内容になりました👌「アタックNo.1に憧れてバレー部に入ったけども、痛すぎて一年で辞めてしまった」という話を載せて下さった方もおられました(笑)  〇曜日の▲時になったら必ずこのアニメを見ていた、という話を書いてくれた方もいました。その時のワクワク感や「あー、明日学校行きたないな」とかそんな気持ちも含めて思い出すんでしょうね🌼(小池)

🎍本年もよろしくお願い致します🎍

 遅くなってしまいましたが、明けましておめでとうございます🎍本年もなにわの里をどうぞよろしくお願い致します☺  なにわの里で本格的な対策を始めたのが昨年の3月でしたので、もうすぐ1年になります。この1年、入所施設やグループホームの利用者さんたちはご実家に帰宅することができず、生活の流れが一変しました。調子を崩される方がたくさん出るだろうな…と思っていたのですが、そこまで大きなことはなく皆さん穏やかに過ごされている、という印象を受けています。  帰宅が楽しみでないはずがありません。大好きなお父さんやお母さんたちに会えるのは、何よりの楽しみだと思います。大きな楽しみがなくなっているのは確かだと思うのですが、全体の雰囲気としておおむね穏やかに過ごしておられます。個人的は「驚愕」のレベルでこのことを受け止めています。  今日、食堂で配食当番をしているときに、食パンに一生懸命ジャムを塗っている利用者さんがおられるのに気づきました。偏りなく本当にきれいに塗っておられるのです。きれいに塗り終わって、嬉しそうにパンを食べておられました。  自分だったらテキトーにジャムを塗って、パッとパンを食べてハイ終わり、次は…という感じになってしまうと思うのです。でもその利用者さんはきれいにジャムを塗ることに集中し、うまくいったことにやりがいや嬉しさを感じ、嬉しそうにパンを食べておられました。    穏やかに過ごせている理由が少しだけわかったように感じました。自分が現場にいたころに「もう、そんなんええやん・・・」と思っていた(なんなら途中で止めてしまっていた)利用者さんたちのこだわりポイントや、いつも行う行動。自分が勝手に「価値や意味があるのだろうか」と思ってしまっていた行動によって、世の中が大きく不安げに変動しているときでも利用者さんたちは穏やかさを保つことができているのではないか、と感じました。  効率や生産性の高さを最優先に求める価値観の上では、「意味のない行動」とされるかもしれません。でも、「穏やかな気持ちを持てることを大切にする」という価値観の上では、無くすことのできないかけがえのない行動なのだと思います。そして、その行動は世の中がどう変わろうと、コロナ禍で自粛を求められようと、変わるものではありません。“不変的な、かけがえのない行動によって穏やかさを保つことができている”ジャムをきれいに塗っておられた利用者さんは、そのことを教えてくださったのだと感じました。  何を当たり前のことを言っておるのだと言われるかもしれないのですが、このコロナ禍において、どんなことに価値を感じ、どんなことを大切にしていきたいか、自分自身もう一度考えていきたい、と思っています。(小池)

おかげさまで15年🌻

 今日、会議の場でみんなに勤続15年を祝って頂きました☺15年、みんなに支えてもらいながらどうにかこうにか(笑)勤めることができました。感謝の気持ちでいっぱいです🌞  ひまわりが咲いてくれました🌻秋の涼しい風にそよぐひまわりもきれいだなぁと感じます🌻

パックのジュース🍹

 大変な状況の中、勤務してくれている現場スタッフのみんなに、「ご苦労様」の気持ちを込めて法人からパックのジュースと個包装のお菓子を毎週差し入れしています。特にジュースは人気のようです。暑くなってきましたしね☀️  ただ、この差し入れを小池個人からのものと勘違いしているスタッフもいそうで、それが申し訳ない…。渡す時に「法人から。法人からやで!」と強調するようにしているのですが。

置かれた場所で咲くこと🌻

 感染症対策の中で、なにわの里でも受け入れを中止している事業があり、ご利用者様には大変ご不便をおかけしております。 その事業所のスタッフはどうしているかと言うと、法人内の別の事業所で勤務をしています。  慣れない環境の中でしんどい思いもしていると思いますが、どのスタッフも今ここですべきことを立派にしてくれています。 後輩ばかりですが、その姿勢が本当に素晴らしいと思います。  長い道のりが予想される中、時には疲れてしまうこともあると思います。やってらんねえよと思うこともあると思います。そんな愚痴も言い合いながら、みんなで進んで行けたらと思います。

いるだけでいい、と思えることの大切さ

 前回のブログで他法人様の実践報告会のことを書かせて頂きました。その報告会の場では、相模原の事件のことについても触れておられました。  この事件については思い出すのもつらい方もおられると思います。もう忘れたいと思っておられる方もいるかと思います。そう思って苦しんでいる方は、ゆっくり心を休めて考えないようにする、とにかく自分を守ることが大事だと小池は思います。  上のような考えと、「この事件を風化させてはいけない」という考えの間で悩む方もおられるのではないでしょうか。「自分が何か発信することで(別にネット上の発信だけでなく、同僚や友人とこの事件について話すことも含めて)、相手を傷つけてしまうのではないか」と感じている方もおられるのではないかと思います。  小池自身もそう悩んでいます。ですが、そのまま何も言わないでだんだんと忘れ去られていくとすれば、それは避けなければならないと思っています。仮にその場はお互いを傷つけてしまうことがあったとしても、語り合った方がいい場面もあるのではないか、と思っています。  植松被告は、知的障害のある方を「役に立たない」としました。彼は“役に立つ人間”になりたかったのではないか、と論じた方がおられました。そうなりたかったが、そう社会から認められず、自身でもそのように思えない中で、「これをすれば自分は“役に立つ側”にいけるのではないか」と考えたのではないだろうか、と書かれていました。  小池自身、最近まで自分の事を「役に立たない」「社会にとって邪魔な人間なのかもしれない」と感じたことはありませんでした。ですが、最近少し自信を失う出来事がある中で、そのように自分の事を思ってしまうことがありました。「いや自分は自分だし、生きているだけでいいんだ」というかたちで自信を回復できたらよかったのですが、目に見えるステータスであったり、周りに認めてほしいという気持ちに囚われてしまうことがありました。  刺々しい気持ちで過ごす時期があったのですが、職場の仲間、大学時代の友人、両親、恩師、そして何より家族の支えの中で「自分は自分なのだ」という自信を取り戻すことができました。  私には子どもが二人いるのですが、子どもが「何ができる/できない、ではなくて、いるだけで素晴らしいことなんだ」と思える土台を作ってあげることが親の一番の仕事なのではないか、と最近思います。偉そうなことを書いて、まだまだ実行はできていないのですが・・・。  自分自身に「いるだけでいいんだ」と思えることで、周りの人に対しても「いるだけでいいんだよ」という寛容さを持てるのではないかと思います。とても難しいことですし、自分自身もできていませんが、そうすることで社会全体の寛容さが深まっていくのではないかと思います。(小池)

他法人様の事例発表会で思ったこと

 2月21日のなにわの里事例発表会は新型コロナウィルスの影響で中止とさせていただきました。本来その感想をこのFacebook上で発信しようと思っていたのですが、それが叶わないため、感染症の影響が出る前に小池が参加させていただいた他法人様の実践報告会で感じたことを書かせていただこうと思います。  その実践報告会は、前半2時間が基調講演、お昼休みをはさんで後半2時間が実践報告という構成でした。なぜ前半の2時間で講演があるのだろう?と少し不思議に思っていたのですが、基調講演で「その法人様が大切にしている理念や価値」について、障害者福祉の制度や考え方の変遷を押さえながら発信していく、ということをされていました。その話には相模原の事件のことも含まれていました(このことについては次回で触れさせていただこうと思います)。    そしてそれを踏まえたうえで、各現場の実践報告がされていました。すごいなと思いました。実践報告や事例発表はどうしてもテクニカルな話に陥りがちだと感じています(10年前の誰かがそうだったように😩)。「どんな考え方や哲学に基づいてその支援がなされたか」というバックグラウンドを法人スタッフだけでなく聴く側も共有することで、上っ面でない分厚い話がその会場で生まれていました。  なによりすごいと思ったのは、実践報告をした現場スタッフの方お一人お一人が、「その支援をして、自分の考えがどう変わったか」「何を考えたか」ということを発表していたことでした。現場を離れて感じるのは、「支援スタッフにとって技術や知識よりも“哲学”が大切なのではないか」ということです。もちろん技術・知識も大切ですが、“自身で悩んで見つけた哲学”という根っこのない支援は、利用者さんのみならず、いつかスタッフ自身を苦しめることになるのではないか、と感じるのです。なんのためにこの支援をしているのか、自分はどこに向かおうとしているのか、それを見失うことにつながるのではないかと感じます。  そうならないために、その法人様は上記のような取り組みをしているのではないか、と思いました。その支援をしたことで自身が感じたこと/変わったことをまずチームで共有する、ということをされているそうです。それらをお互いに尊重しあいながら、この実践報告会の場で言葉にして外部の方に伝える、というプロセスを経ることで、現場スタッフお一人お一人の哲学が積み上げられていくのではないか、と感じました。  この実践報告会を開催するまで、ものすごい準備をされたのだろうなぁ・・・と感じました。どの法人様も、利用者さんに「その方らしい生活」を送っていただきたいと思い、様々な取り組みをされておられます。もちろんなにわの里もその一つです。ただ、なにわの里も含め今まで小池が見てきた取り組みは、どうしても目先の効果や数字に囚われてしまい、根っこのところに届いていないものが多かったように思います(すべてではありません)。どうしたらいいんだろうなぁ。。。と悩む中、今回素晴らしい取り組みに出会うことができました。それを実践していくのは並大抵のことではありませんが、今回学んだことを少しでも、なにわの里、また障碍者福祉の現場に還元していけたらと思っています。(小池)

支援と想像力と白黒テレビ

 小学校時代、男の先生に担任を持ってもらったのは2年生の1年だけで、ナカジマ先生という方でした。お顔ははっきりと思い出せない…のですが、教えて頂いたことを明確に一つ覚えています。  ちょっと表現に問題があるかもしれませんが、当時の原文ママで書かせて頂きますと、  “ ラジオはかまへん。 白黒テレビはちょっとあかん。 カラーテレビはあかんで! ”というものでした。    テレビに関して言われることと言えば「目が悪なるで」だけだったので、変わったことをいう人やなと思ったのですが、想像力のことを言ってるんやなというのは子どもながらにわかりました。  その後、小池はカラーテレビを見まくって育ったわけでありますが(白黒テレビはもうなかった・・・)、自分に子どもができて、ナカジマ先生の言葉を思い出すことがありました。 娘二人(小3・小1)は妻と妻の両親の影響からか、割と本を読む方なのですが、「これはこれでまあええことなんやろな」と感じながら見ています。学校の宿題などを一緒にしていて、小池が「これはこういうことなんやで」と教えると、「ほんまにそうなんかな、花蓮はこう思うんやけどな」と自分の意見を返してくることがあります。まあ、本を読む/読まないの影響がどこまであるかは分からないですし、親のひいき目もあるのですが(笑)、“その先にあるものを想像し、相手に伝えようとする”という力はとても大切なものだと感じます。  これは支援の場面でも言えるのではないか、と感じます。もっと言えば、人同士が関わる全ての場面で大切なことなのだと思いますが、 「あの利用者さんは今どう思うてはるんやろうか」 「この支援を継続して、その先にどんなことがあるんやろうか」 と肩の力を抜いて、腹に力を込めて考える力というのは、支援者として大きな助けになる、と感じます。(小池)