クリスマスとハイビスカス

 先日、ア〇ゾンのアウトレットでクリスマスツリーを購入しました🎄食堂に飾ったのですが、どう見ても一本のツリーにこんなに飾り付けできんやろ、というくらいの装飾品が入っていました。  どうしたものかと考え、施設の玄関をデコレーションすることにしました!せっせと作業していると、箱の中にハイビスカスの花が。クリスマスにハイビスカス・・・、あっ、これは海外のアウトレット品やったから、南半球ではクリスマスにハイビスカスを飾る習慣があるのだ、きっとそうなのだ、と偉そうに後輩スタッフに説明をしました。・・・が、雪の結晶の飾りも同封されており、「小池さん、たぶんそれ違うんじゃないですか」と冷たい返事。  悔しいので終わってから「クリスマス 花」で検索してみたところ、どうもハイビスカスではなく「ポインセチア」だったようです😩クリスマスといえばポインセチア、一つ勉強になりました。(小池)

<ジョブコネクト通信>

こんにちは、就労移行支援事業ワークサポートなにわジョブコネクトの広谷です。 ジョブコネクトでは、複数の企業様から作業を受注しています。 当然ではありますが、決められた期限までに納品することが求められるため、納入したタイミングで毎回「打ち合わせ」を行っています。 例えば納入した週に祝日があったり、誰かが午前中で帰らないといけない予定があったり…毎回同じ時間、同じマンパワーで作業に当たることはできませんし、作業内容や量もその時々によって異なります。 それらを考慮して、利用者さん同士で意見を出し合って「Aの作業はここまでに仕上げとかなあかんな。」「Bは余裕があるからAが終わってから…」といった内容を検討し、スケジュールを立てていきます。 それ以外に作業スペースの活用の仕方、部材の置き場や道具の扱い方についても、皆で意見を出し合って決めていきます。 利用当初は意見を求められても何も言えなかったある利用者さんが、先日作業場面を覗いてみると、打ち合わせの際に「僕は○○と思います。」「こうしませんか?」と自分の意見を言うことができるようになっていました。 いつも関わっていると細かい変化は感じにくいものですが、利用者さんの成長を感じる一コマでした。(広谷)

スタッフインタビュー第18弾 鬼頭さん

氏名:鬼頭 育子 所属:入所・グループホーム支援1係(インタビュー当時)  - 鬼頭さんが福祉系の学校に通っていましたが、進路を決めたきっかけは?  学校は福祉系だったのですが、中学校くらいのときから保健室の先生に興味がありました。いわゆる「担任の先生」はちょっと違うなという思いがあり、専門学校に通いながら、保健室の先生の資格が取れる通信制大学にも通っていました。  福祉系か教育系か考えたのですが、進路を決めたのは、ボランティアやアルバイトの影響が大きかったです。ボランティアでは、スペシャルオリンピックスの活動に参加していました。アルバイトでは、障害のある方のガイドヘルパーをしていました。身体障害、知的障害、精神障害が重複している方がおられて、その方との関わりがとても難しかったのですが、おもしろいなとも思いました。今でもそこのスタッフさんとは交流があるのですが、現場での経験が進路を決めるきっかけになったと思います。  - そうなんですね。なにわの里にいこうと思ったのはなぜだったんですか?  就職は障害系で見つけたいと思って活動していました。就職課の方が紹介してくれて、なにわの里に見学に行くことになったんですが、各々の利用者さんに個別の対応をしているのがすごいなと感じました。 あと、なによりスタッフが楽しそうに仕事をしているのが好印象でした。他の施設にいったときにスタッフがとても疲れている顔をされていたことがあって、「施設ってこんな雰囲気なのかな」と思っていたのですが、なにわの里のスタッフは明るく気軽に話しかけてくれて、とても嬉しかったです。  - 早いものでもうすぐ丸4年が経ちます。今まで一番大変だなと思ったことはなんですか?  自分が夜勤の時に、一人の利用者さんが調子を崩して深夜に他の利用者さんにケガをさせてしまったことがありました。その事故のときが一番しんどかったです。ガイヘルのアルバイトをしていてかなり根性もついてプラス思考になったのですが、そのときはかなりマイナスに物事を考えてしまいました。  あと、グループホームを担当しているときに、新規の利用者さんの受け入れ担当をしたのですが、その利用者さんの調子が安定せず対応が難しい時期がありました。そのときもしんどかったです。  - 今、その利用者さんは入所施設で落ち着いて過ごされていますね。  入所施設でも調子を崩した時期はあったのですが、チームのメンバーで検討し、対応を考えました。人と関わるのが好きな方なので、いろいろなスタッフや利用者さんと関わるのですが、その時その時あったこと一つ一つに反応している様子がうかがえました。その方にとっては刺激の多い生活になっていたのだと思います。そのあたりを整理していくことで、落ち着いていったのかなと感じます。  そんなふうに、調子の悪かった利用者さんの様子が安定したり、変化があったりしたときが、仕事のやりがいを感じるときです。  - では最後に、鬼頭さんはどんなスタッフになっていきたいですか?  「小さいことに気づける」スタッフになりたいです。「この服装だったら寒いかな」とか、生活を支える上で大切なことに気づいて対応できるスタッフになりたいと思います。先輩スタッフでとても細やかに対応している方がいるのですが、そんなふうになりたいと思います。  以上、鬼頭さんのインタビューでした。鬼頭さんは話の中で、目標にしたいスタッフについて話してくれていました。小池はそんな鬼頭さんの対応をお手本にしたいと言っていたスタッフを知っています。  あのスタッフみたいになりたい、目標にしたい、という思いが途切れずにつながっていくというのはとても大切なことだと思います。先輩を目標にし、後輩からお手本とされるスタッフとして、これからも鬼頭さんのペースで走って行ってください!

スタッフインタビュー第17弾 中須賀さん

 こんにちは、なにわの里の小池です。寒くなってきましたね!小池は寒いのが大の苦手でして、デスクの足下には湯たんぽを忍ばせています。本格的な冬が恐ろしいです・・・。 名前:中須賀 拓人(なかすか ひろと) 所属:入所・グループホーム支援2係  ― なにわの里に来て1年経ちましたね(インタビュー当時)。自分が変わったなと思うことはありますか?  今、生活面の支援をしているので、自分自身の生活と重ね合わせて考えるようになったところは変わったのかなと思います。3歳の子どもがいるのですが、子育てにも活かせるところはあると思います。例えば、言葉のかけ方、「・・・しましょう」と「・・・しますか?」では利用者さんの反応も違ってくるのですが、子どもとの関わりでも同じように違ってくるなということがありますね。  ― 4月からケース担当をもってみて、どうですか?  やりがいはありますね。こんな支援があったらいいな、といったことをより考えるようになりました。  ― 中須賀さんはなにわの里に来る前にも福祉のお仕事をしていたわけですが、なにわの里で働いてみようと思ったのはなぜですか?  支援の内容を見て、でしょうか。少しでも自立して行動できるためにはどうしたらいいか、といったように「考える」ことをしたかった、ということがあります。「考えて」支援をすることで、支援者としてのスキルを高めたかった、ということがあるのかな、と思います。  ― 「こんな支援者になりたい」みたいなものはありますか?  具体的にこんな人、というのはないのですが、細かいことでもよくしていきたい、ということは思います。長年そうしているからまあいいや、ではなく、おかしいなと思ったら、それでいいのか考えて改善していくようなことをしていきたいと思います。  ― 仕事をしていてしんどいことは?  人の命を預かっているんだ、というプレッシャーでしょうか。特に夜間は人員も少ないので、そういったしんどさはあります。  ― では、楽しいと思うことは?  自分のやっている支援、先輩方が積み上げてきた支援が意味のあるものだ、利用者さんの生活に役立つものだと感じることができたとき、楽しいなと感じます。  以上、中須賀さんのインタビューでした。話の中で「長年こうしているから、ではなく、おかしいと思ったら改善していきたい」と中須賀さんが言ってくれていたのがとても嬉しく思いました。若いスタッフがそのように考え、発信・行動していくことできっと現場はよくなっていくと思います。(小池)

スタッフインタビュー第16弾 杉田さん

氏名:杉田 真希(すぎた まき) 所属:入所・グループホーム支援1係  ― 杉田さんは「人見知り」と自分では言っていますが(笑)(※このときも、最初っから結構話してくれました)  人見知りなんです。ただ、話せないわけではなくて、何とか場を持たせようとして話はする、という人見知りなんです。 昔はあまり話せなかったのですが、クリーニング屋のアルバイトをしたときに、受付から電話対応から何から何までしないといけなくて、「話せない」なんて言っている場合ではなくて。そのときから変わったのかなと思います。  ― なるほど。そんな杉田さんが最初に志したのは、テレビ業界だったと以前聞きました。  進路を決めるとき、自分は何をしたいのかなと考えたときに、すぐには思いつかなくて。で、自分は子供のころからテレビが好きやな、自分で面白い番組を作れたらいいな、と思って放送関係の学校に通いました。 ただ、テレビの業界は本当に大変で、東京に行った先輩や同期が次々と帰ってくるのを見て、これは違う道を考えた方がいいのかなと思うようになりました。  ― 卒業後、高齢者分野の仕事に就くわけですが、これは?  きっかけは祖母が倒れたことです。祖母を支えるヘルパーさんの仕事などを見ている中で、こういう仕事をしてみたいなと思うようになりました。  ― 高齢者支援の現場で思い出に残っていることは?  自分を孫みたいにかわいがってくださる利用者さんもいて、それはとても嬉しかったです。  ― なにわの里に来て、驚くことはなかったですか?  みなさん、元気だなと(笑)。それが第一印象でした。  ― 入職当初、「ここはもっとこうした方が」と提案をしてくれていたのが印象に残っています。  その時提案したことも、他のスタッフに協力してもらいながら、少しずつ改善できていることもあります。ただ、入職当時、振り返りのノートに「慣れないようにしたい」と書いていたのに、半年経って変に慣れてしまっているところもあるな、と今感じました。気を付けたいです。  ― では、最後の質問。杉田さんはどんなスタッフになりたいですか?  利用者さんのご家族に信頼されるスタッフになりたいと思います。当然利用者さんにも信頼されるようになりたいのですが、ご家族と会ったときに何でも気軽に話してくれるような、また、利用者さんの日常をきちんと丁寧に伝えられるスタッフになりたいと思います。  以上、杉田さんのインタビューでした。新任研修などでもいつも場を盛り上げてくれて、小池もとても助かっています。周りの状況を見て、自分がこうしたら周りのためになる、といったことをいつも考えて行動してくれているように思います(違ったらごめん)。それは杉田さんの強みだと小池は思いますし、チームの一員としてとても大切なことだと感じます。後輩ができたら、さらにその強みが活きるだろうなぁと、この文章を書きながら感じました。(小池)  

スタッフインタビュー第15弾 中川さん

氏名:中川 頌太(なかがわ しょうた) 所属:入所・グループホーム支援2係  ― なにわの里に来る前は、「福祉分野の営業の仕事」をしていたんですよね?  介護関連のソフトを売る営業の仕事でした。もともとはその会社の介護の現場で働いていたんです。ある時、適性検査のようなものがあって、「ストレス耐性がとても高い」という結果がでたんです。これだけのストレス耐性があるのなら営業どうだ、という話になり異動になったんです。  ― そうだんったんですね。中川さんがなにわの里に来た時、「やっぱり自分は現場の仕事をしたい」と話していたのを覚えているのですが、高齢者支援の現場ではどんなことをしていたんですか?  訪問介護などをしていました。最初はなかなかうまくやりとりできなかった利用者さんでも辞めるときに「もう来うへんのか?」と言ってくれたり、「あなたがいるから生活ができている」と言ってもらえたり、現場は楽しかったという思いがあります。  ― なにわの里に来て一年半、一番印象に残っていることはどんなことですか?  初めて担当を持った利用者さんのことが一番印象に残っています。その方は一度したことをもう一度やり直したり、行動に時間がかかることがあるんですね。食堂でも食べ終えた後、手を洗ってから出ていくのですが、何度も手を洗ったりして手が凍傷になりかけていました。  そこで本人さんに分かりやすいように、写真などを使って食べ終わった後はこうやって行動するんだよ、ということを伝えてみると、スムーズに行動ができるようになりました。初めて担当を持った方だからかもしれませんが、印象に残っています。  ― 最初に担当を持った利用者さんのことが印象に残っている、というのはわかります。では、中川さんにとって仕事のやりがいって何ですか?  先ほどの答えの続きになるのですが、利用者さんが変わっていく様子が見られる、ということかと思います。支援の結果、困っていることが解決したり、できることが増えていったり、いい方向に向かっていく様子を見られるのがこの仕事の楽しさなのかなと思います。  あと、なにわの里のスタッフはみんないい人ばかりで、それに救われているというのもあります。  ― では、最後の質問。「どんな人になりたい」みたいな目標ってありますか?  「話しかけやすい先輩」になりたい、と思います。やはり大変な仕事ですから、みんなでカバーしあうことが大切かと思うのですが、まじめな話だけでなくて、何気ない話、ほっとするような話も大事なのかなと。そんな話を聞ける先輩スタッフになりたいなと思います。  以上、中川さんのインタビューでした。「話しかけやすい先輩になりたい」と言ってくれていましたが、すでに「話しかけやすいスタッフ=中川さん」という認識ができつつあると思います(笑)。そんな中川さんに救われているスタッフはすでにいますし、「お互いに助け合う風土」を中川さんにも受け継いでいってほしいと思います!(小池)

スタッフインタビュー第14弾 髙木さん

 こんにちは、なにわの里の小池です。スタッフインタビュー第14段となります。  氏名:髙木 清輝(たかぎ きよてる)  所属:児童支援係(きっずサポートなにわ)  - 髙木さんはニュージーランドで幼児教育について学ばれていたそうですが、なぜニュージーランドに??  いろいろな人の考えを吸収したいなという思いがあり、ワーキングホリデーの制度を使ってニュージーランドに行きました。1999年当時、カナダとオーストラリアとニュージーランドの3か国しかワーキングホリデーの制度は使えなかったんです。カナダは抽選で落ちてしまって、オーストラリアとニュージーランドのどちらかとなったときに、よりのどかなニュージーランドがいいなと。  ニュージーランドで土産物屋のアルバイトをしていたときに、オーナーのおやじさんから「うちの子どものベビーシッターをお願いできないか?」と頼まれたんです。結構やんちゃな子だったんですが(笑)、それが楽しかったんです。もともと幼児教育には関心があり、子どもも好きだったので、この分野で仕事をしたいなと思うようになりました。それで、ニュージーランドの専門学校のようなところに行くようになったんです。  - そうだったんですね。以降、たくさん学ばれて最後は心理学の大学院に行かれていますが(ニュージーランドの!)、ここまでやろうと思ったのはなぜだったんでしょう?  保育士として勤務する中、なかなか関わり方が難しい子どもがいて、自分がこれまで学んできたことでは対応が難しいなと感じました。心理学について学ぶことで、また違った対応ができるのではないかと。  あと、ちょうど同時期に日本で東日本大震災があり、多くの子どもたちがトラウマを抱えてしまったと聞きました。そういったことにも携われたらと思ったのもあります。  - ニュージーランドの療育と日本の療育で、違うところはあるんでしょうか?  違うと言えば子ども一人ひとりで違ってくるので、ニュージーランドだからどうこうというのはないかと思います。ただ、ニュージーランドの方が福祉の制度や文化が進んでいるなとは思います。  - その後、日本に帰国されて、なにわの里に来てくれることになったわけですが、ニュージーランドでそのまま働こうとは思わなかったんでしょうか?  思わなかったことはないのですが、やはり言葉の問題はあったかと思います。日常生活は問題なかったのですが、例えば自閉症の子どもに言語指導をする時、うまく指導できなかったり・・・ということはありました。羊(sheep)という単語を子どもに教えていたとき、上司や同僚が「shのところがうまく言えていないね」と話していたことがありました。sh ・ th ・ f など日本語にない発音がうまく教えられなかったんですね。  - 日本に帰ってきて2年半(当時)、髙木さんが変わったことはありますか?  変わったこと・・・、かどうかは分かりませんが、ニュージーランドにいたころはわりとおおらかに働いていたので、日本の勤務文化のようなものに合わせるのは若干苦労したかなとは思います。  あと、ニュージーランドでは仕事で必要なことはかなりストレートに言い合っていました。そこはやっぱり日本と違うところかとは思います。  でも、きっずサポートでは、悩みも楽しい話もマジメな話も言わせてもらっていて、とても助かっています。  以上、髙木さんのインタビューでした。小池はいろいろな部署にちょこちょこ顔を出すのですが、きっずサポートの部屋に入ると、ほぼ毎回髙木さんが小ボケ・小ネタを披露しているorそれに対して誰かが突っ込んでいるという風景が見られます。見られなかったら、あれ何かあったんかな、大丈夫かなと思うくらいです(笑)。明るいきっずサポートの雰囲気を生み出すエンジンである髙木さん、これからも小ネタの精度を高めていかれることを期待しております!(小池)

スタッフインタビュー第13弾 中林さん

 上の娘がピアノを習っており、GWに発表会があります。それに向けて小さな電子ピアノで練習をしていたのですが、鍵盤の数が足りなくなっていたようです。先生からも「ぜひもう少し大きなやつを買ってあげて下さい」と言われ、家族でヤ○ハピアノ教室に見に行きました。  「こちらとこちらがオススメですよ」と、2種類(お値段の差あり)わざわざ弾き比べまでして下さいました。「どっちがいい?」と子どもに判断をゆだねてみたのですが(笑)、「うーん・・・」と困った様子。ここで値段の低い方を選択できるハートの強さがあるお父さんがおられたら、ぜひとも会ってみたい!と感じました(笑)。  さて、今回は、4年目(当時)の中林さんにインタビューをしました。  氏名:中林 英梨  所属:入所・グループホーム支援1係  - 中林さんは福祉系の学校に通っていましたが、なにかきっかけはあったんですか?  きっかけは、「母に勧められたから」ですね。高校2年くらいで進路を考えていた時、母が「あんた、福祉とかは向いてるんちがうの」と言ってくれたんです。もともと、保育士さんにあこがれていた、ということもあるかもしれません。  - なにわの里との出会いは?  学校の就職課になにわの里のパンフレットが置いてあって。発達障害に関心があり、関連のゼミに属していたのですが、パンフレットの「発達障害」という文字にひかれて・・・、という感じですね。  - 実際に見学に来てみて、どうでしたか?例えば、個別のエリアを作るためのパーテーションを見て「うわ、なんか高い壁あるわ」とか思わなかったですか?  それは思わなかったです。詳しいことは分かっていなかったと思いますが、「一人ひとりの特徴に合わせるためにやっているんだろうな」と思いました。  - この4月で4年目、丸3年の中で一番思い出に残っていることは?  一番となると決めづらいのですが、3年間で新規利用者さんの受入れを2回担当させて頂きました。やっぱりそれが印象に残っています。この前、一人の方が入所されて1ヵ月くらいのときの写真を見る機会があったのですが、とても険しい顔をされていて。今とはずいぶん表情が違うなと感じました。  でも、これといった大きな支援プログラムをくんだとか、そういうわけではないので・・・。私個人ではなくてチームみんなで取り組んだ結果だと思います。  - そう思うし、それでいいのだと思うよ。支援のプログラムがバチっとはまって利用者さんの状態が変わる・・・というのもいいことではあるけど、そんなにうまくいくことばかりでもない。それよりも、毎日毎日の生活をチームみんなで支えて、その人の生活が徐々に少しずつ良くなっていく・・・ということの方が自分たちの仕事の本質なんじゃないかなと思うよ。  ー 中林さんはとても「仲間」「チーム」を大切にする方だと小池は思うのですが、それは子どものころからですか?  どうなんでしょう、子どもの頃もそういう気持ちはあったと思いますが、もっと引っ込み思案だったので。大学時代にラクロス部のマネージャーをしていたのですが、そんなのも影響しているのかもしれません。  今、なにわの里のバンド部に属しているのですが、みんなで何かをするのはとても楽しいですし、スタッフ一人ひとりみんないいところがあってすごいなと思います。例えば湯田さんはとてもポジティブだったり、みんなそれぞれに個性や長所があるなと思います。  - 話は少し変わりますが、高校野球が好きなのはいつから?  中学2年のとき、夏休みの宿題で、何かスポーツを観戦して感想文を書く、みたいなものがあったんです。それでたまたま夏の高校野球「花巻東 対 樟南」を見て、そこからはまりました。高校生のときも、野球部のマネージャーになりたかったのですが、野球部が無くて(笑)。  以上、中林さんのインタビューでした。中林さんにはパンフレットなどにもたびたび登場してもらっているのですが、いつも笑顔で快諾してくれます。それにこちらが甘えているところもあるのですが、『周りとの和を大切にし』『仲間を大切にする』中林さんの長所(だと小池は思います)の現れだとも思います(いつも感謝しております)。  インタビューの最後の方で「後輩にあまり注意ができなくて・・・」と話していたのですが、威厳をもって怒る・叱るだけが指導ではないと思います。そういう場面・役割も必要だとは思いますが、中林さんの持ち味である『和を大切にする』姿勢で優しく教えるのも、一つの指導だと小池は思います。中林さんがいるスタッフルームは明るく和やかですし、その持ち味はこれからも大切にしてほしいと思います。(小池)

スタッフインタビュー第12弾 児玉さん

 こんにちは、なにわの里の小池です。インフルエンザ大流行ですが、小池家も①次女A型→②それが長女に感染、一旦落ち着いたかと思ったら、③妻B型→④それが次女に感染、とバタバタな状態です・・・。妻のありがたみを感じるためのいい機会だと思い聞かせ、何とか乗り切ろうと思います。  今回はスタッフインタビュー第12弾です。  氏名:児玉 洋介  所属:入所・グループホーム2係(当時)  ― 児玉さんがなにわの里に入職したきっかけは何だったんでしょうか?  親戚に知的障害のある子がいて、法事で親戚が集まったときなどに会っていたのですが、ご両親はかなり対応に苦労していたようでした。その様子を見ている中で、人を支える仕事に関心を持ったのだと思います。    前の職場から転職する際に、いろいろな仕事を見ていたのですが、障害者福祉の仕事もやはり気になっていました。その中でなにわの里を見つけて、見学に行くことに…という感じです。  ― 前はどんなお仕事を?  霊園の事務所で働いていました。いわゆる営業の仕事です。  ― お墓を販売する?  そうです。お墓って、一生に一度のものですよね。「こんなふうにして欲しい」といったお客様からの要望を聞き、それをデザイナ―に伝え、そのデザイン案をお見せしながらやり取りする・・・といったことをしていました。  ― そうなんですね。その営業の仕事で得たことが、今の仕事に役立っている、みたいなことはありますか?  行間を読む、ということでしょうか。言葉では「はい」と言っていても、表情がちょっといつもと違ったりしたときに、何かあったのかな?と考えるのですが、これは営業の仕事の中で身に付いたことなのかもしれません。  担当している利用者さんがふらつきが強くなり、転倒をして頭部にケガをする危険が高くなってきたため、ヘッドギアを着用してもらった方がいいのでは、という話になったんですね。お母さんにその話をしたのですが、言葉では「うん…」「わかりました」と仰るんです。でも、どこかためらいやひっかかりがある感じで。  ヘッドギアの見た目が気になるのかと思い確認してみると、「そうなんです」とのことでした。そこで「外出する際は、ヘッドギアの上にニット帽をかぶるなどして目立たないようにすることもできます」といった提案をしてみると、了承をして下さいました。  ― お母さんとしても、それは嬉しいやりとりだったでしょうね。やっぱりお互いに言いづらいことはあって、でもそこを汲み取った上でやりとりできたことで、また一つ関係が深まるんでしょうね。  ― なにわの里で3年、一番印象に残っている支援は何ですか?  入ってすぐ、1ヶ月くらいのときに初めて実施した支援が一番印象に残っています。浴室の脱衣場に靴を脱がずにあがってしまう方がいたんです。どこで脱いだらいいのかわからないのかな、とは思ったのですが、では具体的にどう支援すればいいのかは全く分からなくて。  そこで先輩スタッフと一緒に取り組み、浴室の三和土のような場所に「靴箱」を置いてみました。「ここに脱ぐんやで」ということを指差しや手を添えながら伝え、その利用者さんも覚えようとしてくれて、できるようになったときは嬉しかったです。  ― では、3年の中で一番大変だったことは?  先ほど話したふらつきが強くなった利用者さんなのですが、急にふらつくようになったり、食欲が落ちたり、また通院して検査をしても要因が分からない・・・ということがありました。対応策を考えても、次の日には状態が変わっていくといった状況でした。出勤して、記録を読むのがしんどい時期もありました。  でも、周りのスタッフの気遣いがありがたかったです。「こんな風にしてみたら」とか「今日はこんな様子やったよ」といった感じで声をかけてくれました。自分一人に押し付けられている感じではなく、みんな考えてくれていることが嬉しかったし、助かりました。  ― では、まとめとして、この仕事のやりがいはどんなところですか?  何か支援をしたときに、利用者さんもそれに応えてくれて、何かができるようになったり、困っていることが減ったり、そんなことがやりがいなのかなと思います。支援者の働きかけに、利用者さんが応えようとしてくれるのが、自分にとっては一つのやりがいになっているのかと思います。  以上、児玉さんのインタビューでした。一番印象に残っている支援=最初に実践した支援、というのは何だか分かる気がします。「そのとき先輩スタッフに教えてもらった」と児玉さんは言っていましたが、その先輩スタッフも新人時代に誰かしら先輩に教えてもらったのだと思います。「オレもそうだったわ」と懐かしく思いながら支援について伝えていく、それがなにわの里の先輩後輩の関係性なのかな、とも思いました。児玉さん、ありがとうございました。(小池)

スタッフインタビュー第11弾 金光さん

 こんにちは、なにわの里の小池です。寒い日が続きますが、皆さんお変わりございませんでしょうか。  先日、たまには!と思い立ち、娘二人(7歳・5歳)とカレーを作りました。ようやく出来上がり、一口食べると微妙な表情(特に次女)。そりゃあないぜ・・・と思ったのですが、妻に聞くとカレールーがいつもと違ったようで、普段はボ〇カレーの甘口を食べているとのこと(今回は、一歳児からいけるカレーの王〇様のルーを使った)。「いつもと違うかった」というストレートかつ何とも言えない感想(これも次女)を頂きました。  さて、今回はスタッフインタビューの第11弾です。  氏名:金光 浩(かねみつ ひろし)  所属:入所・グループホーム支援2係(当時)  ― なにわの里に来られてもうすぐ2年ですね。その前はどんなお仕事をされていたんですか?  10年ほど物流関係の仕事をしていました。その前は、スケートリンクで働いていたこともあります。もともとアイスホッケーをやっていて、その関係で。あと、カナダにいたこともあるんです。  ― 言葉に困ることはなかったんですか?  そんなになかったですね。僕のいた地域が、いろいろな人種の方がいるところで、英語を話せない方も結構いたんです。「英語を話せない人とのやりとり」に慣れている人が多かったんでしょうね。  ― そんな金光さんが、福祉の仕事に就いた経緯は?  妻と妻の両親が看護師をしていて、対人援助の仕事の話はよく聞かせてくれていたんです。それで通信制の専門学校に通い、社会福祉士の資格を取りました。    物流の仕事を辞めて、以前から考えていた福祉関係の仕事を・・・と思ったときに、なにわの里のことを知りました。  ― 見学に来てびっくりしたことはなかったですか?  いっぱいありました(笑)。大きな物音が聞こえてきて、当時は何の音かもわからないじゃないですか。  ただ、「無理やわ」とは思わなかったですね。「一度やってみよう」という気持ちでした。  ― それから2年が経ちますが、大変なことはどんなことですか?  一言でこれとは言えないですが、やっぱり「40人の方の人生を支える」ということは大変なことだと最近特に思います。  ― では、やりがいはどんなところになりますか?  先日、利用者さん数名とスーパー銭湯に行ったんです。普段もお風呂の様子は見ているわけですが、入浴の介助をしているときと何か違ったんですね。こちらも裸になって、背中を流して、同じ時間を過ごしたのがとても楽しかったです。  「利用者さんと支援者」という関係だけでなく、「人と人との付き合い」を感じられる瞬間が、楽しさだったりやりがいだったりするのかもしれません。    ― 5年先・10年先といった「先のビジョン」みたいなものって、あったりします?  とにかく今を大事に、あとは一歩一歩、利用者さんと一緒に年をとっていければ(笑)。  ― 金光さんが働くうえで、大事にしていることってなんですか?  まずベースにあるのは、感謝すること、そして誠実であること。  それをベースにしたうえで、「変わる」ということを大切にしています。  ― 「変わる」ことですか?  昔の上司が教えてくれたことでもあるのですが、右肩上がりに成長する、ということではなくても、「変わる」ことは大切だと思っています。  「それでも人生にイエスと言う」という本がとても好きなのですが、前向きにイエスと考えながら、変化がうまくいかなくても失敗してもいいや、くらいの気持ちで「変わること」を楽しもうとは思っています。実際、この2年で成長できたと思っています。  以上、金光さんのインタビューでした。金光さんは小池よりいくつか年上なのですが、「自分はこんなにアグレッシブに働けているだろうか」といつも感じさせられます。新しい環境、不慣れな状況に置かれると、小池などは「ただただ不安」になってしまうのですが、金光さんはそれを楽しんでおられるように感じます。それが「変わる」ということなのか、とお話を伺いながら感じました。小池もちょっとでも変化を楽しめるようになりたいです。金光さん、ありがとうございました!(小池)

スタッフインタビュー第10弾 大橋さん

 こんにちは、なにわの里の小池です。インフルエンザが流行り始めています。少し前に上の娘(7歳)が予防接種を打ちに行ったのですが、怖すぎて病院から逃げ出そうとしたそうです(笑)。嫁さんからは「笑い事ちがうわ!」と怒られそうですが・・・。  さて、今回はスタッフインタビューの第10回目です。先輩へのインタビューは2回目となりました。  氏名:大橋 一博  所属:通所支援2係(サテライト)  - もうすぐ勤続15年、一番印象に残っていることはどんなことですか?  10年ほど前、グループホーム(地域のマンションでの支援)の立ち上げを担当した時が一番思い出深いです。それまで入所施設で過ごしておられた方々、またこちらも施設での支援しかしたことがない、何もかもが初めての状況だったので、大変ではありました。  でも、利用者さんの表情に良い変化が見られたり、各々の部屋で楽しそうに過ごしておられるのを見て、頑張った甲斐があったと感じました。  ー 大橋さんはたくさんの部署を経験していますが、グループホームが一番長いですよね?  はい。他部署からグループホームに戻ったときに、当時となりに住んでおられた方が「アンタがいてくれたら安心やわ」と言ってくれたのが嬉しかったですね。  - それは嬉しい一言ですね!では、働くうえで大切にしていることを教えて下さい。  どんな支援をすれば利用者さんが楽しく過ごせるか、それを丁寧に考えることですかね。利用者さんにとっての「日常の小さな楽しみ」を見つけるのが好きですね。  以上、大橋さんのインタビューでした。大橋さんは細やかな作業がとても得意で、壊れた備品などを手早く直してくれます(その技術は「大橋工務店」とも称されています)。それは手先が器用ということだけでなく、細かなことに気づき、それを大切にする姿勢のあらわれなのだと小池は感じます(すみません、生意気言いますが)。そして、その細やかな対応は利用者さんへの支援においてとても大切なものだと感じます。その姿勢を我々後輩が見習っていくことで、なにわの里の支援の質が向上していくのだと感じています。(小池)

スタッフインタビュー第9弾 湯田さん

 氏名:湯田 豊(ゆだ ゆたか)  所属:入所・グループホーム支援2係  ― 早いもので10年ですな(笑)。10年は長かったですか、短かったですか?  長かったという気がします。でも、なにわの里に見学に来たときのことはよく覚えています。試験の小論文や面接の内容も。    ― 湯田さんは大学卒業後、学校で障害のある子どもをサポートする仕事をしていたんですよね?  はい、特別支援学級にいたこともありますし、通常学級でサポートが必要な子どもに付いたこともありました。よく覚えているのが、市内の特別支援学級に通う子ども全員が集まって、川遊びに行った時のこと。100名くらいの子どもがいたのですが、大きなトラブルもなく楽しく遊ぶことができていました。先生方が個別に丁寧な対応をされていたんでしょうね。    ― 湯田さんがすごいのは、10年で一度も欠勤がないこと。これは本当にすごいことなのですが、秘訣は??  手洗い・うがいを欠かさず行う、ということでしょうか。学校で働き始めた一年目、三人で一つのクラスを担当していたんです。一人休むともう大変で。社会人一年目でそういう環境に置かれたのが大きかったんでしょうね。健康管理には気を付けるようになりました。  ― 湯田さんはメンタル面でも安定感があると小池は思うんです。これは何か気をつけていることはあるんですか?  そりゃあ落ち込むこともあるのですが、「人と話して切り替える」ことは心掛けています。人に話して、外に出すことで気持ちが晴れることもあります。それを意識的にすることはありますね。遅出の後、スタッフルームにいる人を「ちょっと」とつかまえたり(笑)。  ― 確かにそんなふうにしている場面を小池も見てきた気がします(笑)。10年安定して働き続けるってすごいことだと小池は思うんです。  今まで「仕事を休みたい」と思ったことはないんです。仕事嫌やなと思ったことは一度もない。  ― 小池は何回もあります・・・。すごいね。見習わねば・・・。  以上、「なにわの里の鉄人」湯田さんのインタビューでした。湯田さんと小池は同い年で、ほぼ同期のような間柄です。「休みたい・・・」と思ったとき、湯田さんの優しい言葉に助けてもらったことも何度もありました。10年一緒にいると、いてくれているのがどこか当たり前になってしまうのですが、今回のインタビューの中で「10年安定して働いている」というのは、本当にすごいことだと改めて感じました。次は20年連続勤務を目指して、お互い頑張りましょう!!(小池)