なにわの里では毎年実践事例報告会というものを開催しています。その年に行った支援数例について、ご家族や地域の方々、また同じ対人援助職の方々などにお伝えする…というものです。 コロナ禍に入るまでは、近隣の図書館の会場をお借りして実施していました。2020年2月は直前に中止となり、この2年はオンラインで配信をしています。僕が撮影と動画編集を担当しているのですが、撮影をしながらたくさんの学びを頂いています。コロナ禍で外出や帰宅がなくなり、日常の楽しみを作るためにご本人の好きなお菓子を選んでもらい、それを買いに行く…という取り組みを発表して下さったスタッフがいました。 利用者Aさんが理解しやすいように写真入りの選択用ボードを用意し、選んでもらっていたのですが、毎回違うものを選ぶことにスタッフは気づきました。「Aさんは、何のお菓子が好きなの?」と尋ねると「チョコレート」ということでした。「次は何にする?」については「ゼリー」という答えが返ってきたそうです。 これまでの関わりの中では、Aさんはその都度違うものを選ぶというよりは、自分の好きなものを選び続けるような印象があったそうです。また、買ったお菓子をスタッフに分けてくれるようなときもあった、ということでした。 経験を積むとどうしても利用者さんの行動を予測できてしまったり、行動の理由にある程度察しがつくようなことがあるかと思います。それはそれで利用者さんと関係を深める上で必要なことかもしれませんが、その「予測」や「察し」が絶対的なものだと思い込んでしまうと、援助者側の意図を押し付けるようなことにつながるかもしれません。それを防ぐためには、こういった新たな取り組みの中で「利用者さんの新たな一面を知る」ということが大切なのではないか、と今回の発表を聞きながら学ばせて頂きました。 多忙な日常の中では、どうしても効率よく業務をこなさなければならない気持ちになりがちです(自分も大いに当てはまります…)。だからこそ、日常と少し離れた「新しい取り組み」が大切なのだろう、と思います。新たな取り組みの中で利用者さんの新たな一面を知り、援助関係が変化していく中で援助者自身も変化する、利用者さんを捉える視点も変化していく、それが利用者さんの変化にもつながっていく…というような循環的な関係があるのではないかと思いますし、そういったものを感じ取れることが大切なのではないか、と感じます。事例発表や事例集といった取り組みは、それを感じるためのひとつの取り組みなのだろうな、と考えています。
Monthly Archives: February 2023
🌺役割の大切さ🌺
コロナ禍に入ってから、毎週土曜日は朝食時に配膳係をしてきました。「〇〇さんの分、お願いします」とお声がかかれば、それを配膳カートから出す、という役割なのですが、それを行いながら、利用者さんたちの様子を撮影させていただき、ご家族にLINEでお送りするというのが、自分の中のひとつの大きな役割になっていました。 この2月から配膳係をしなくてよくなったため、動画撮影だけを昼に行っているのですが、どこか寂しいというか(笑)、現場での役割がなくなってしまったようなそんな気持ちになることがあります。 同じくコロナ禍に入ってから、ご実家への帰宅ができなくなり、利用者さんもまたご家族も寂しい期間が続いています。「特にお変わりなく元気に過ごされていますよ」と担当スタッフが伝えると、少し寂しそうな顔をするお母さんもおられる、と現場の人から聞いたことがあります。 少しだけ気持ちがわかるように思います。コロナ前までは2週間に一度の頻度で帰宅される方が多かったのですが、お母さんたちは「2週間に一度、お母さんに戻る」というリズムで生活されていたのではないかと思うのです。帰宅時は大変なこともあると思うのですが、その大変なこともひとつのかけがえのない時間として、ご家族にとっては大切なものになっていたのだろうと感じます。 その役割がなくなってしまい、利用者さんも変わりなく…となってしまうと、少し寂しいような、そんな気持ちになることもあるだろうな。。。と思います。僕たちにできることは、できる限りで利用者さんの生活を支え、それをご家族にお伝えするしかないとは思うのですが、ご家族の寂しい気持ちに少しでも添えるような職員であれたら、と思います。
📻ただ生きていることを応援できる福祉士に📻
毎週土曜日は車で出勤しているのですが、車内でラジオを聴いています。最近は「みんなでひきこもりラジオ」という番組をよく聴きます(アプリの聞き逃し配信で)。 月に一度の番組なのですが、2月配信の最後の方にある学生さんからのお便りで、社会福祉士の国家試験のことが話にあがっていました。「合格の自信はないけど、福祉に関わる仕事がしたい」というメッセージの後に「ただ生きていることを応援できるような福祉士になりたい」という言葉がありました。 僕自身、15歳から19歳まで4年くらい家にひきこもっていた経験があります。「だからひきこもりの方の気持ちがわかる」ということを言いたいのでは全くなくて、やはりそれは人それぞれで事情があり、決して同じではない、わからないという思いです。自分がひきこもっていた時のことを思い出すと将来への漠然とした不安はありながらも、どこか体と心を休めているようなそんなゆったりとした時間だったなと感じます。 このラジオのMCの方は送られてくるお便りに対して、「がんばりましょう」といったことは仰らないように思います。番組の最後には「また来月、生きてみんなで会いましょう」ということをやさしく話されます。 学校でも仕事場でも、どうしても「できるようになること」を求められ、自分でも自分にそれを求めるようになり、「できないこと」を否定し何とかそれを埋めることに一生懸命になってしまいます。でも、その視点だけ自分を見続けた時に、自分はへとへとに疲れてしまいましたし、それは周りの人も同じ目線で見る事にもつながると思います。 忙しい日々の中で気持ちも体も疲れてしまうことは多々ありますが、「ただ生きている」ということに「よくやっているよ」と自分自身を労うような、そんなまなざしを持ちたいなとラジオを聴きながら感じました。