今まで成人支援担当だった中林さんが10月からきっずサポートなにわに異動になりました。今回はその中林さんに現在の感想を聞きました。 -成人支援の部署から児童支援の部署に異動してきて、その感想はどうですか? お子さんの可愛さに毎日癒されています。 -どういう所が楽しくて、どういう所が難しいと思いますか? 楽しい所はお子さんが可愛い所ですね、難しい所は、正直異動になって1か月でまだ分かっていないのですが、色んなお子さんがいて、一人一人に合わせた支援をする事と、課題をそれぞれの利用者さんに合わせてカスタマイズする事です。 -これからの意気込みを聞かせてください。 色んな成人支援の部署を渡り歩いてきたスタッフとして、経験を活かした支援をしていきたいと思っています。 きっずサポートなにわには、コロナ禍での休業中に成人利用者さんのグループホームに臨時で働いた事を除き、児童支援の経験しかないスタッフが自分を含めて3人います。今回、中林さんが入ってくれた事により、今まで以上に利用者さんがきっずサポートの利用を終了した後の生活の質を高める支援に繋げていければと思っています。(高木)
Category Archives: スタッフ紹介
マリーゴールド、芽が出ました🌱
先日植えたマリーゴールド、芽を出してくれました☺(小さくて見づらいですが、かわいい芽が出ております)こんなに小さいのに、ぐんぐんと伸びていく様子を見ていると、植物はすごいなと感じます。 なにわの里の新芽たちも、大変な勤務をこなしながら一つひとつ成長していってくれています。仕事を覚えるだけで大変、もう一つ大変なことがのしかかっている中、懸命に頑張ってくれています。(小池)
4月1日 辞令交付式
4月1日(水)、なにわの里に新しく加わった3名の辞令交付式を行いました。3名とも緊張しながら、理事長からの辞令を受け取っていました。 桜も(ほぼ)満開、新年度のスタートです!(小池)
スタッフインタビュー第20弾 新谷さん
氏名:新谷 真美子 所属:入所・グループホーム支援1係 - この4月で一年(インタビュー当時)、自分が一番成長したと思うところはどんなところですか? 現場の中で、先のことを考えて行動できるようになったと思います。入ったころは、失敗することも多くて、事故が起こってしまうこともありました。そんなときに、看護師さんから「危険予知の意識が足りないのかも?」とアドバイスを頂きました。 現場の中では小さなこと、「これはいつか事故につながるのかも?」というようなことが積み重なって、大きな事故につながっていると学びました。小さな「あれ?」のうちに対応することが大切で、その意識がついてきたと思います。 あとは、ふくらはぎに筋肉が付いてきました(笑)。 - 新谷さんは、教育系の大学に通っていましたが? 教師だった両親の影響もあると思います。あと、ピアノをずっとしていたので、音楽を学べる教育学部に通っていました。 - ケース担当の利用者さんをもつようになって、どうですか? Yさんの支援計画書を考えているのですが、難しいです。生活の課題が見つからなくて…。 - 課題、というと? 生活を送る上で困っていることだったり、ということなんですが。 - もう少し違う見方をしてみてもいいと思うよ。例えば、Yさんの好きなぬいぐるみを一緒に買いに行ったり、楽しそうな場所に出かけてみたり。楽しい経験をたくさんすることも一つの支援だと思うよ。 そんなふうにも考えてみます。先輩スタッフの外出計画なども参考にしてみようと思います。 - 新谷さんの目標は、どんなことですか? 利用者さんとの関係を、穏やかに続けられたらという思いがあります。 - 穏やかに、というと? 相手も自分も無理をし過ぎることのない、そういう関係を続けていきたい、という感じでしょうか。 あと、担当の利用者さんのことを一番よくわかっているスタッフになりたいです。 以上、新谷さんのインタビューでした。新谷さんは利用者さん・スタッフ・周りにいる人たちのいいところを見つけるのがとても上手です。今回のインタビューでも「先輩それぞれにいいところがあって…」という話をしてくれていました。 それは本当に素晴らしい強みだと小池は思います。なにわの里スタッフは、みなそれぞれに個性があって、みなそれぞれに強みがあります。それぞれのスタッフが自分の強みに誇りを持てるような、それをお互いに認め合えるような、そんなチームになっていきたい、と思います。(小池)
スタッフインタビュー第19弾 藤井やよいさん
氏名:藤井 やよい 所属:通所支援1係 - やよいさんが福祉の仕事をやろうと思ったのはなぜだったんですか? 親戚に知的障害のある方がいたんですね。小さいころからよく遊んでいて、そのときは知らなかったんです。その方が中学卒業後、高校に進学しなかったんですね。その時、初めてその方が知的障害があることを母から聞かされました。それが私には衝撃で、その時から障害分野に関心を持つようになったのだと思います。 - なにわの里を選んだのは? 最初の理由は「近鉄沿線だったから」です(笑)。大学までは三重県の実家で過ごしていて、社会人になったら親元を離れようと思っていました。ただ、地元で就職すると家を出づらいし、となると大阪やなと。で、大阪の近鉄沿線上の事業所を就職フェアで探したら、出会った感じです。(注:近鉄沿線の方が、実家に帰る際にアクセスがいいそうです) 大学の実習もなにわの里でしました。その後も、利用者さんの旅行にボランティアで参加したりもしていましたね。その中でどんどんなにわの里の魅力に魅かれていきました。 - やよいさんは今3人のお子さんを育てるお母さんですが、母親になる前と後とで、利用者さんとの関わり方に変化を感じることはありますか? ありますね。やっぱり親の視点、親の気持ちで「自分の子どもが同じようにされたらどうだろうか」というように考えるようになりました。「これはいやなんちゃうかな」とか。 あと「自分の子どもにいきいき働いている姿を見せたい」と思うようにもなりました。「お母さんはこんな仕事をしているんやで!」「お母さんって素敵やな、かっこいいな!お仕事がんばってな!」と子どもに思ってもらえるようになりたい、そのためには自分がまっとうな仕事をせなあかん、と思うようになりました。 - 5年後、10年後のことを考えることはありますか? 40代に入って、今より子育てが落ち着いてきたら、より仕事に集中できたらなという気持ちはあります。 今は育短で働いているのですが(インタビュー当時)、特に一人目のときは仕事と育児の両立に悩みました。どちらも頑張りたくて、でも時間は限られているし、何を優先すべきかよく悩んでいました。どちらも思うようにいかず、落ち込むこともありました。 そういう時には夫に「とりあえずなんでもいいから私を誉めてほしい!」と前置きして、誉めてもらっていました(笑)。自分としては一生懸命しているのに、期待通りの結果が出ず、モチベーションが下がる時ってありますよね。私なりのモチベーションを上げる方法の一つです。 正規女性スタッフの中では一番の古株です。結婚して、出産を経験して、今は仕事と育児の両立に励んでいる真っ最中です。これまで自分が経験して思ったこと、編み出した方法?などを、これから同じように悩み、それでも進んでいく20代のスタッフに伝えて、力添えになれたらいいなと思います。 以上、やよいさんのインタビューでした。「いきいき」というワードが話の中でも出てきたのですが、やよいさんを見ていると本当に「いきいき」としているなぁと思いますし、お母さんになった後はより一層感じます。また、やよいさんの背中を見て、自分の先のイメージを持つことができている女性スタッフもたくさんいます。これからも、「いきいき」とやよいさんらしくいてください。(小池)
スタッフインタビュー第18弾 鬼頭さん
氏名:鬼頭 育子 所属:入所・グループホーム支援1係(インタビュー当時) - 鬼頭さんが福祉系の学校に通っていましたが、進路を決めたきっかけは? 学校は福祉系だったのですが、中学校くらいのときから保健室の先生に興味がありました。いわゆる「担任の先生」はちょっと違うなという思いがあり、専門学校に通いながら、保健室の先生の資格が取れる通信制大学にも通っていました。 福祉系か教育系か考えたのですが、進路を決めたのは、ボランティアやアルバイトの影響が大きかったです。ボランティアでは、スペシャルオリンピックスの活動に参加していました。アルバイトでは、障害のある方のガイドヘルパーをしていました。身体障害、知的障害、精神障害が重複している方がおられて、その方との関わりがとても難しかったのですが、おもしろいなとも思いました。今でもそこのスタッフさんとは交流があるのですが、現場での経験が進路を決めるきっかけになったと思います。 - そうなんですね。なにわの里にいこうと思ったのはなぜだったんですか? 就職は障害系で見つけたいと思って活動していました。就職課の方が紹介してくれて、なにわの里に見学に行くことになったんですが、各々の利用者さんに個別の対応をしているのがすごいなと感じました。 あと、なによりスタッフが楽しそうに仕事をしているのが好印象でした。他の施設にいったときにスタッフがとても疲れている顔をされていたことがあって、「施設ってこんな雰囲気なのかな」と思っていたのですが、なにわの里のスタッフは明るく気軽に話しかけてくれて、とても嬉しかったです。 - 早いものでもうすぐ丸4年が経ちます。今まで一番大変だなと思ったことはなんですか? 自分が夜勤の時に、一人の利用者さんが調子を崩して深夜に他の利用者さんにケガをさせてしまったことがありました。その事故のときが一番しんどかったです。ガイヘルのアルバイトをしていてかなり根性もついてプラス思考になったのですが、そのときはかなりマイナスに物事を考えてしまいました。 あと、グループホームを担当しているときに、新規の利用者さんの受け入れ担当をしたのですが、その利用者さんの調子が安定せず対応が難しい時期がありました。そのときもしんどかったです。 - 今、その利用者さんは入所施設で落ち着いて過ごされていますね。 入所施設でも調子を崩した時期はあったのですが、チームのメンバーで検討し、対応を考えました。人と関わるのが好きな方なので、いろいろなスタッフや利用者さんと関わるのですが、その時その時あったこと一つ一つに反応している様子がうかがえました。その方にとっては刺激の多い生活になっていたのだと思います。そのあたりを整理していくことで、落ち着いていったのかなと感じます。 そんなふうに、調子の悪かった利用者さんの様子が安定したり、変化があったりしたときが、仕事のやりがいを感じるときです。 - では最後に、鬼頭さんはどんなスタッフになっていきたいですか? 「小さいことに気づける」スタッフになりたいです。「この服装だったら寒いかな」とか、生活を支える上で大切なことに気づいて対応できるスタッフになりたいと思います。先輩スタッフでとても細やかに対応している方がいるのですが、そんなふうになりたいと思います。 以上、鬼頭さんのインタビューでした。鬼頭さんは話の中で、目標にしたいスタッフについて話してくれていました。小池はそんな鬼頭さんの対応をお手本にしたいと言っていたスタッフを知っています。 あのスタッフみたいになりたい、目標にしたい、という思いが途切れずにつながっていくというのはとても大切なことだと思います。先輩を目標にし、後輩からお手本とされるスタッフとして、これからも鬼頭さんのペースで走って行ってください!
スタッフインタビュー第17弾 中須賀さん
こんにちは、なにわの里の小池です。寒くなってきましたね!小池は寒いのが大の苦手でして、デスクの足下には湯たんぽを忍ばせています。本格的な冬が恐ろしいです・・・。 名前:中須賀 拓人(なかすか ひろと) 所属:入所・グループホーム支援2係 ― なにわの里に来て1年経ちましたね(インタビュー当時)。自分が変わったなと思うことはありますか? 今、生活面の支援をしているので、自分自身の生活と重ね合わせて考えるようになったところは変わったのかなと思います。3歳の子どもがいるのですが、子育てにも活かせるところはあると思います。例えば、言葉のかけ方、「・・・しましょう」と「・・・しますか?」では利用者さんの反応も違ってくるのですが、子どもとの関わりでも同じように違ってくるなということがありますね。 ― 4月からケース担当をもってみて、どうですか? やりがいはありますね。こんな支援があったらいいな、といったことをより考えるようになりました。 ― 中須賀さんはなにわの里に来る前にも福祉のお仕事をしていたわけですが、なにわの里で働いてみようと思ったのはなぜですか? 支援の内容を見て、でしょうか。少しでも自立して行動できるためにはどうしたらいいか、といったように「考える」ことをしたかった、ということがあります。「考えて」支援をすることで、支援者としてのスキルを高めたかった、ということがあるのかな、と思います。 ― 「こんな支援者になりたい」みたいなものはありますか? 具体的にこんな人、というのはないのですが、細かいことでもよくしていきたい、ということは思います。長年そうしているからまあいいや、ではなく、おかしいなと思ったら、それでいいのか考えて改善していくようなことをしていきたいと思います。 ― 仕事をしていてしんどいことは? 人の命を預かっているんだ、というプレッシャーでしょうか。特に夜間は人員も少ないので、そういったしんどさはあります。 ― では、楽しいと思うことは? 自分のやっている支援、先輩方が積み上げてきた支援が意味のあるものだ、利用者さんの生活に役立つものだと感じることができたとき、楽しいなと感じます。 以上、中須賀さんのインタビューでした。話の中で「長年こうしているから、ではなく、おかしいと思ったら改善していきたい」と中須賀さんが言ってくれていたのがとても嬉しく思いました。若いスタッフがそのように考え、発信・行動していくことできっと現場はよくなっていくと思います。(小池)
スタッフインタビュー第16弾 杉田さん
氏名:杉田 真希(すぎた まき) 所属:入所・グループホーム支援1係 ― 杉田さんは「人見知り」と自分では言っていますが(笑)(※このときも、最初っから結構話してくれました) 人見知りなんです。ただ、話せないわけではなくて、何とか場を持たせようとして話はする、という人見知りなんです。 昔はあまり話せなかったのですが、クリーニング屋のアルバイトをしたときに、受付から電話対応から何から何までしないといけなくて、「話せない」なんて言っている場合ではなくて。そのときから変わったのかなと思います。 ― なるほど。そんな杉田さんが最初に志したのは、テレビ業界だったと以前聞きました。 進路を決めるとき、自分は何をしたいのかなと考えたときに、すぐには思いつかなくて。で、自分は子供のころからテレビが好きやな、自分で面白い番組を作れたらいいな、と思って放送関係の学校に通いました。 ただ、テレビの業界は本当に大変で、東京に行った先輩や同期が次々と帰ってくるのを見て、これは違う道を考えた方がいいのかなと思うようになりました。 ― 卒業後、高齢者分野の仕事に就くわけですが、これは? きっかけは祖母が倒れたことです。祖母を支えるヘルパーさんの仕事などを見ている中で、こういう仕事をしてみたいなと思うようになりました。 ― 高齢者支援の現場で思い出に残っていることは? 自分を孫みたいにかわいがってくださる利用者さんもいて、それはとても嬉しかったです。 ― なにわの里に来て、驚くことはなかったですか? みなさん、元気だなと(笑)。それが第一印象でした。 ― 入職当初、「ここはもっとこうした方が」と提案をしてくれていたのが印象に残っています。 その時提案したことも、他のスタッフに協力してもらいながら、少しずつ改善できていることもあります。ただ、入職当時、振り返りのノートに「慣れないようにしたい」と書いていたのに、半年経って変に慣れてしまっているところもあるな、と今感じました。気を付けたいです。 ― では、最後の質問。杉田さんはどんなスタッフになりたいですか? 利用者さんのご家族に信頼されるスタッフになりたいと思います。当然利用者さんにも信頼されるようになりたいのですが、ご家族と会ったときに何でも気軽に話してくれるような、また、利用者さんの日常をきちんと丁寧に伝えられるスタッフになりたいと思います。 以上、杉田さんのインタビューでした。新任研修などでもいつも場を盛り上げてくれて、小池もとても助かっています。周りの状況を見て、自分がこうしたら周りのためになる、といったことをいつも考えて行動してくれているように思います(違ったらごめん)。それは杉田さんの強みだと小池は思いますし、チームの一員としてとても大切なことだと感じます。後輩ができたら、さらにその強みが活きるだろうなぁと、この文章を書きながら感じました。(小池)
スタッフインタビュー第15弾 中川さん
氏名:中川 頌太(なかがわ しょうた) 所属:入所・グループホーム支援2係 ― なにわの里に来る前は、「福祉分野の営業の仕事」をしていたんですよね? 介護関連のソフトを売る営業の仕事でした。もともとはその会社の介護の現場で働いていたんです。ある時、適性検査のようなものがあって、「ストレス耐性がとても高い」という結果がでたんです。これだけのストレス耐性があるのなら営業どうだ、という話になり異動になったんです。 ― そうだんったんですね。中川さんがなにわの里に来た時、「やっぱり自分は現場の仕事をしたい」と話していたのを覚えているのですが、高齢者支援の現場ではどんなことをしていたんですか? 訪問介護などをしていました。最初はなかなかうまくやりとりできなかった利用者さんでも辞めるときに「もう来うへんのか?」と言ってくれたり、「あなたがいるから生活ができている」と言ってもらえたり、現場は楽しかったという思いがあります。 ― なにわの里に来て一年半、一番印象に残っていることはどんなことですか? 初めて担当を持った利用者さんのことが一番印象に残っています。その方は一度したことをもう一度やり直したり、行動に時間がかかることがあるんですね。食堂でも食べ終えた後、手を洗ってから出ていくのですが、何度も手を洗ったりして手が凍傷になりかけていました。 そこで本人さんに分かりやすいように、写真などを使って食べ終わった後はこうやって行動するんだよ、ということを伝えてみると、スムーズに行動ができるようになりました。初めて担当を持った方だからかもしれませんが、印象に残っています。 ― 最初に担当を持った利用者さんのことが印象に残っている、というのはわかります。では、中川さんにとって仕事のやりがいって何ですか? 先ほどの答えの続きになるのですが、利用者さんが変わっていく様子が見られる、ということかと思います。支援の結果、困っていることが解決したり、できることが増えていったり、いい方向に向かっていく様子を見られるのがこの仕事の楽しさなのかなと思います。 あと、なにわの里のスタッフはみんないい人ばかりで、それに救われているというのもあります。 ― では、最後の質問。「どんな人になりたい」みたいな目標ってありますか? 「話しかけやすい先輩」になりたい、と思います。やはり大変な仕事ですから、みんなでカバーしあうことが大切かと思うのですが、まじめな話だけでなくて、何気ない話、ほっとするような話も大事なのかなと。そんな話を聞ける先輩スタッフになりたいなと思います。 以上、中川さんのインタビューでした。「話しかけやすい先輩になりたい」と言ってくれていましたが、すでに「話しかけやすいスタッフ=中川さん」という認識ができつつあると思います(笑)。そんな中川さんに救われているスタッフはすでにいますし、「お互いに助け合う風土」を中川さんにも受け継いでいってほしいと思います!(小池)
スタッフインタビュー第14弾 髙木さん
こんにちは、なにわの里の小池です。スタッフインタビュー第14段となります。 氏名:髙木 清輝(たかぎ きよてる) 所属:児童支援係(きっずサポートなにわ) - 髙木さんはニュージーランドで幼児教育について学ばれていたそうですが、なぜニュージーランドに?? いろいろな人の考えを吸収したいなという思いがあり、ワーキングホリデーの制度を使ってニュージーランドに行きました。1999年当時、カナダとオーストラリアとニュージーランドの3か国しかワーキングホリデーの制度は使えなかったんです。カナダは抽選で落ちてしまって、オーストラリアとニュージーランドのどちらかとなったときに、よりのどかなニュージーランドがいいなと。 ニュージーランドで土産物屋のアルバイトをしていたときに、オーナーのおやじさんから「うちの子どものベビーシッターをお願いできないか?」と頼まれたんです。結構やんちゃな子だったんですが(笑)、それが楽しかったんです。もともと幼児教育には関心があり、子どもも好きだったので、この分野で仕事をしたいなと思うようになりました。それで、ニュージーランドの専門学校のようなところに行くようになったんです。 - そうだったんですね。以降、たくさん学ばれて最後は心理学の大学院に行かれていますが(ニュージーランドの!)、ここまでやろうと思ったのはなぜだったんでしょう? 保育士として勤務する中、なかなか関わり方が難しい子どもがいて、自分がこれまで学んできたことでは対応が難しいなと感じました。心理学について学ぶことで、また違った対応ができるのではないかと。 あと、ちょうど同時期に日本で東日本大震災があり、多くの子どもたちがトラウマを抱えてしまったと聞きました。そういったことにも携われたらと思ったのもあります。 - ニュージーランドの療育と日本の療育で、違うところはあるんでしょうか? 違うと言えば子ども一人ひとりで違ってくるので、ニュージーランドだからどうこうというのはないかと思います。ただ、ニュージーランドの方が福祉の制度や文化が進んでいるなとは思います。 - その後、日本に帰国されて、なにわの里に来てくれることになったわけですが、ニュージーランドでそのまま働こうとは思わなかったんでしょうか? 思わなかったことはないのですが、やはり言葉の問題はあったかと思います。日常生活は問題なかったのですが、例えば自閉症の子どもに言語指導をする時、うまく指導できなかったり・・・ということはありました。羊(sheep)という単語を子どもに教えていたとき、上司や同僚が「shのところがうまく言えていないね」と話していたことがありました。sh ・ th ・ f など日本語にない発音がうまく教えられなかったんですね。 - 日本に帰ってきて2年半(当時)、髙木さんが変わったことはありますか? 変わったこと・・・、かどうかは分かりませんが、ニュージーランドにいたころはわりとおおらかに働いていたので、日本の勤務文化のようなものに合わせるのは若干苦労したかなとは思います。 あと、ニュージーランドでは仕事で必要なことはかなりストレートに言い合っていました。そこはやっぱり日本と違うところかとは思います。 でも、きっずサポートでは、悩みも楽しい話もマジメな話も言わせてもらっていて、とても助かっています。 以上、髙木さんのインタビューでした。小池はいろいろな部署にちょこちょこ顔を出すのですが、きっずサポートの部屋に入ると、ほぼ毎回髙木さんが小ボケ・小ネタを披露しているorそれに対して誰かが突っ込んでいるという風景が見られます。見られなかったら、あれ何かあったんかな、大丈夫かなと思うくらいです(笑)。明るいきっずサポートの雰囲気を生み出すエンジンである髙木さん、これからも小ネタの精度を高めていかれることを期待しております!(小池)
スタッフインタビュー第13弾 中林さん
上の娘がピアノを習っており、GWに発表会があります。それに向けて小さな電子ピアノで練習をしていたのですが、鍵盤の数が足りなくなっていたようです。先生からも「ぜひもう少し大きなやつを買ってあげて下さい」と言われ、家族でヤ○ハピアノ教室に見に行きました。 「こちらとこちらがオススメですよ」と、2種類(お値段の差あり)わざわざ弾き比べまでして下さいました。「どっちがいい?」と子どもに判断をゆだねてみたのですが(笑)、「うーん・・・」と困った様子。ここで値段の低い方を選択できるハートの強さがあるお父さんがおられたら、ぜひとも会ってみたい!と感じました(笑)。 さて、今回は、4年目(当時)の中林さんにインタビューをしました。 氏名:中林 英梨 所属:入所・グループホーム支援1係 - 中林さんは福祉系の学校に通っていましたが、なにかきっかけはあったんですか? きっかけは、「母に勧められたから」ですね。高校2年くらいで進路を考えていた時、母が「あんた、福祉とかは向いてるんちがうの」と言ってくれたんです。もともと、保育士さんにあこがれていた、ということもあるかもしれません。 - なにわの里との出会いは? 学校の就職課になにわの里のパンフレットが置いてあって。発達障害に関心があり、関連のゼミに属していたのですが、パンフレットの「発達障害」という文字にひかれて・・・、という感じですね。 - 実際に見学に来てみて、どうでしたか?例えば、個別のエリアを作るためのパーテーションを見て「うわ、なんか高い壁あるわ」とか思わなかったですか? それは思わなかったです。詳しいことは分かっていなかったと思いますが、「一人ひとりの特徴に合わせるためにやっているんだろうな」と思いました。 - この4月で4年目、丸3年の中で一番思い出に残っていることは? 一番となると決めづらいのですが、3年間で新規利用者さんの受入れを2回担当させて頂きました。やっぱりそれが印象に残っています。この前、一人の方が入所されて1ヵ月くらいのときの写真を見る機会があったのですが、とても険しい顔をされていて。今とはずいぶん表情が違うなと感じました。 でも、これといった大きな支援プログラムをくんだとか、そういうわけではないので・・・。私個人ではなくてチームみんなで取り組んだ結果だと思います。 - そう思うし、それでいいのだと思うよ。支援のプログラムがバチっとはまって利用者さんの状態が変わる・・・というのもいいことではあるけど、そんなにうまくいくことばかりでもない。それよりも、毎日毎日の生活をチームみんなで支えて、その人の生活が徐々に少しずつ良くなっていく・・・ということの方が自分たちの仕事の本質なんじゃないかなと思うよ。 ー 中林さんはとても「仲間」「チーム」を大切にする方だと小池は思うのですが、それは子どものころからですか? どうなんでしょう、子どもの頃もそういう気持ちはあったと思いますが、もっと引っ込み思案だったので。大学時代にラクロス部のマネージャーをしていたのですが、そんなのも影響しているのかもしれません。 今、なにわの里のバンド部に属しているのですが、みんなで何かをするのはとても楽しいですし、スタッフ一人ひとりみんないいところがあってすごいなと思います。例えば湯田さんはとてもポジティブだったり、みんなそれぞれに個性や長所があるなと思います。 - 話は少し変わりますが、高校野球が好きなのはいつから? 中学2年のとき、夏休みの宿題で、何かスポーツを観戦して感想文を書く、みたいなものがあったんです。それでたまたま夏の高校野球「花巻東 対 樟南」を見て、そこからはまりました。高校生のときも、野球部のマネージャーになりたかったのですが、野球部が無くて(笑)。 以上、中林さんのインタビューでした。中林さんにはパンフレットなどにもたびたび登場してもらっているのですが、いつも笑顔で快諾してくれます。それにこちらが甘えているところもあるのですが、『周りとの和を大切にし』『仲間を大切にする』中林さんの長所(だと小池は思います)の現れだとも思います(いつも感謝しております)。 インタビューの最後の方で「後輩にあまり注意ができなくて・・・」と話していたのですが、威厳をもって怒る・叱るだけが指導ではないと思います。そういう場面・役割も必要だとは思いますが、中林さんの持ち味である『和を大切にする』姿勢で優しく教えるのも、一つの指導だと小池は思います。中林さんがいるスタッフルームは明るく和やかですし、その持ち味はこれからも大切にしてほしいと思います。(小池)
スタッフインタビュー第12弾 児玉さん
こんにちは、なにわの里の小池です。インフルエンザ大流行ですが、小池家も①次女A型→②それが長女に感染、一旦落ち着いたかと思ったら、③妻B型→④それが次女に感染、とバタバタな状態です・・・。妻のありがたみを感じるためのいい機会だと思い聞かせ、何とか乗り切ろうと思います。 今回はスタッフインタビュー第12弾です。 氏名:児玉 洋介 所属:入所・グループホーム2係(当時) ― 児玉さんがなにわの里に入職したきっかけは何だったんでしょうか? 親戚に知的障害のある子がいて、法事で親戚が集まったときなどに会っていたのですが、ご両親はかなり対応に苦労していたようでした。その様子を見ている中で、人を支える仕事に関心を持ったのだと思います。 前の職場から転職する際に、いろいろな仕事を見ていたのですが、障害者福祉の仕事もやはり気になっていました。その中でなにわの里を見つけて、見学に行くことに…という感じです。 ― 前はどんなお仕事を? 霊園の事務所で働いていました。いわゆる営業の仕事です。 ― お墓を販売する? そうです。お墓って、一生に一度のものですよね。「こんなふうにして欲しい」といったお客様からの要望を聞き、それをデザイナ―に伝え、そのデザイン案をお見せしながらやり取りする・・・といったことをしていました。 ― そうなんですね。その営業の仕事で得たことが、今の仕事に役立っている、みたいなことはありますか? 行間を読む、ということでしょうか。言葉では「はい」と言っていても、表情がちょっといつもと違ったりしたときに、何かあったのかな?と考えるのですが、これは営業の仕事の中で身に付いたことなのかもしれません。 担当している利用者さんがふらつきが強くなり、転倒をして頭部にケガをする危険が高くなってきたため、ヘッドギアを着用してもらった方がいいのでは、という話になったんですね。お母さんにその話をしたのですが、言葉では「うん…」「わかりました」と仰るんです。でも、どこかためらいやひっかかりがある感じで。 ヘッドギアの見た目が気になるのかと思い確認してみると、「そうなんです」とのことでした。そこで「外出する際は、ヘッドギアの上にニット帽をかぶるなどして目立たないようにすることもできます」といった提案をしてみると、了承をして下さいました。 ― お母さんとしても、それは嬉しいやりとりだったでしょうね。やっぱりお互いに言いづらいことはあって、でもそこを汲み取った上でやりとりできたことで、また一つ関係が深まるんでしょうね。 ― なにわの里で3年、一番印象に残っている支援は何ですか? 入ってすぐ、1ヶ月くらいのときに初めて実施した支援が一番印象に残っています。浴室の脱衣場に靴を脱がずにあがってしまう方がいたんです。どこで脱いだらいいのかわからないのかな、とは思ったのですが、では具体的にどう支援すればいいのかは全く分からなくて。 そこで先輩スタッフと一緒に取り組み、浴室の三和土のような場所に「靴箱」を置いてみました。「ここに脱ぐんやで」ということを指差しや手を添えながら伝え、その利用者さんも覚えようとしてくれて、できるようになったときは嬉しかったです。 ― では、3年の中で一番大変だったことは? 先ほど話したふらつきが強くなった利用者さんなのですが、急にふらつくようになったり、食欲が落ちたり、また通院して検査をしても要因が分からない・・・ということがありました。対応策を考えても、次の日には状態が変わっていくといった状況でした。出勤して、記録を読むのがしんどい時期もありました。 でも、周りのスタッフの気遣いがありがたかったです。「こんな風にしてみたら」とか「今日はこんな様子やったよ」といった感じで声をかけてくれました。自分一人に押し付けられている感じではなく、みんな考えてくれていることが嬉しかったし、助かりました。 ― では、まとめとして、この仕事のやりがいはどんなところですか? 何か支援をしたときに、利用者さんもそれに応えてくれて、何かができるようになったり、困っていることが減ったり、そんなことがやりがいなのかなと思います。支援者の働きかけに、利用者さんが応えようとしてくれるのが、自分にとっては一つのやりがいになっているのかと思います。 以上、児玉さんのインタビューでした。一番印象に残っている支援=最初に実践した支援、というのは何だか分かる気がします。「そのとき先輩スタッフに教えてもらった」と児玉さんは言っていましたが、その先輩スタッフも新人時代に誰かしら先輩に教えてもらったのだと思います。「オレもそうだったわ」と懐かしく思いながら支援について伝えていく、それがなにわの里の先輩後輩の関係性なのかな、とも思いました。児玉さん、ありがとうございました。(小池)