なにわの里に新しい休憩場所ができました😊ずっと張り詰めた状態を続けるのは、心身によくない!と上司が素敵なエリアを作ってくれました⛱ お花も順調に育っております🌻
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お花が咲きました🌻
ライフサポートなにわの花壇に植えたお花の苗、咲きました🌻 ひまわりの種も植えたのですが、芽が出てきました。 40のおっさんがひまわりの芽が出てきて喜んでいるのも気持ち悪いですが、 小躍りしたいほどうれしい気持ちでした☺
なにわの里お花畑、続報
なにわの里のお花畑の続報であります🌻 もともとはめちゃくちゃ不器用なのですが、経験を積む中でそれなりに修理や大工仕事ができるようになってきたので、立て看板を作ってみました(材料は捨てられていたタンスの引き出しです)。 通るたびに「まだ咲かへんのかな」「ちゃんと大きくなっているんかな」と不安になるのですが(笑)、気長に待とうと思います☺(小池)
お花を植えてみました🌻
前回の投稿で「今はグラウンドはありませんが、そんな気持ちがのんびりするようなやりとりを心掛けていこうと思います」と書かせて頂きました。書くだけではな、と思い、さてどんなことをしたらいいだろうかと考えていたのですが、以前に当時の上司がひまわりを植えていたのを思い出しました。 小池自身は花を育てたことなど一度もないのですが(笑)、一緒にお水をあげたり、花を見ながらちょっとだけでも外の空気を吸うだけでも気分転換になるのではと考え、お花畑を作ることにしました。 農家の息子でありながら全く手伝ってこなかったことがあだとなり、何をしたらいいのか全くわからないのですが、きれいな花が咲くことを期待して育てていこうと思います!(小池)
グラウンドがあった頃
コロナウィルスのニュースを見るたびに、息が詰まるような日々かと存じます。なにわの里の利用者さんも体調を崩されることはありませんが、外出・帰宅ができないことで気持ちがしんどくなっている方がおられるかと感じます。 こんなとき、「グラウンドがあればなぁ…」と思います。ライフサポートなにわには、5年ほど前まで敷地内にグラウンドがありました。写真は当時のものです(草ボーボーですが…)。諸々の事情で今はないのですが、外に出られなくてもちょっと散歩をしたり、土の上で寝っ転がったりするだけでも気持ちがふっと楽になることがあるだろうな、と思います。 小池が入職した当時、利用者さんとスタッフでたまにソフトボールをやっていました。今よりもスタッフ体制は薄かったのに、よくできたなと思うのですが、思い返すとのんびりとしたいい思い出です。 今はグラウンドはありませんが、そんな気持ちがのんびりするようなやりとりを心掛けていこうと思います。(小池)
4月1日 辞令交付式
4月1日(水)、なにわの里に新しく加わった3名の辞令交付式を行いました。3名とも緊張しながら、理事長からの辞令を受け取っていました。 桜も(ほぼ)満開、新年度のスタートです!(小池)
食堂からの桜の風景
前週に続きまして、ライフサポートなにわ(入所施設)食堂裏にある桜だよりでございます。撮影したとき、西日が桜の花にあたってとてもきれいでした🌸 自分が職員としてこの桜を初めて見たのは、2006年の春でしたので、これで15回目となります。15年、早いもんだなぁと思いますし、15年前の写真などを見るとちょっと昔話のようなおとぎ話のような、そんな気分になることもあります。 「桜きれいやなぁ」と思える穏やかな日常を守る支援は、とても大切なものだと思います。それを支えてくれている現場スタッフのみんなには、改めて頭が下がる思いです。(小池)
食堂裏の桜、開花宣言
ライフサポートの食堂の裏には立派な桜の木があります。 今日、事務所からライフサポートに向かう途中、桜が咲いているのを見つけました。「・・・ということは、食堂裏の桜も咲いているのかな?」と思い、見に行くと咲いていました! 利用者さんもご飯を食べながら、「あー、もう桜の季節か」と思っておられると思います。四季を感じられる環境って大切なものだなと改めて感じました。(小池)
いるだけでいい、と思えることの大切さ
前回のブログで他法人様の実践報告会のことを書かせて頂きました。その報告会の場では、相模原の事件のことについても触れておられました。 この事件については思い出すのもつらい方もおられると思います。もう忘れたいと思っておられる方もいるかと思います。そう思って苦しんでいる方は、ゆっくり心を休めて考えないようにする、とにかく自分を守ることが大事だと小池は思います。 上のような考えと、「この事件を風化させてはいけない」という考えの間で悩む方もおられるのではないでしょうか。「自分が何か発信することで(別にネット上の発信だけでなく、同僚や友人とこの事件について話すことも含めて)、相手を傷つけてしまうのではないか」と感じている方もおられるのではないかと思います。 小池自身もそう悩んでいます。ですが、そのまま何も言わないでだんだんと忘れ去られていくとすれば、それは避けなければならないと思っています。仮にその場はお互いを傷つけてしまうことがあったとしても、語り合った方がいい場面もあるのではないか、と思っています。 植松被告は、知的障害のある方を「役に立たない」としました。彼は“役に立つ人間”になりたかったのではないか、と論じた方がおられました。そうなりたかったが、そう社会から認められず、自身でもそのように思えない中で、「これをすれば自分は“役に立つ側”にいけるのではないか」と考えたのではないだろうか、と書かれていました。 小池自身、最近まで自分の事を「役に立たない」「社会にとって邪魔な人間なのかもしれない」と感じたことはありませんでした。ですが、最近少し自信を失う出来事がある中で、そのように自分の事を思ってしまうことがありました。「いや自分は自分だし、生きているだけでいいんだ」というかたちで自信を回復できたらよかったのですが、目に見えるステータスであったり、周りに認めてほしいという気持ちに囚われてしまうことがありました。 刺々しい気持ちで過ごす時期があったのですが、職場の仲間、大学時代の友人、両親、恩師、そして何より家族の支えの中で「自分は自分なのだ」という自信を取り戻すことができました。 私には子どもが二人いるのですが、子どもが「何ができる/できない、ではなくて、いるだけで素晴らしいことなんだ」と思える土台を作ってあげることが親の一番の仕事なのではないか、と最近思います。偉そうなことを書いて、まだまだ実行はできていないのですが・・・。 自分自身に「いるだけでいいんだ」と思えることで、周りの人に対しても「いるだけでいいんだよ」という寛容さを持てるのではないかと思います。とても難しいことですし、自分自身もできていませんが、そうすることで社会全体の寛容さが深まっていくのではないかと思います。(小池)
他法人様の事例発表会で思ったこと
2月21日のなにわの里事例発表会は新型コロナウィルスの影響で中止とさせていただきました。本来その感想をこのFacebook上で発信しようと思っていたのですが、それが叶わないため、感染症の影響が出る前に小池が参加させていただいた他法人様の実践報告会で感じたことを書かせていただこうと思います。 その実践報告会は、前半2時間が基調講演、お昼休みをはさんで後半2時間が実践報告という構成でした。なぜ前半の2時間で講演があるのだろう?と少し不思議に思っていたのですが、基調講演で「その法人様が大切にしている理念や価値」について、障害者福祉の制度や考え方の変遷を押さえながら発信していく、ということをされていました。その話には相模原の事件のことも含まれていました(このことについては次回で触れさせていただこうと思います)。 そしてそれを踏まえたうえで、各現場の実践報告がされていました。すごいなと思いました。実践報告や事例発表はどうしてもテクニカルな話に陥りがちだと感じています(10年前の誰かがそうだったように😩)。「どんな考え方や哲学に基づいてその支援がなされたか」というバックグラウンドを法人スタッフだけでなく聴く側も共有することで、上っ面でない分厚い話がその会場で生まれていました。 なによりすごいと思ったのは、実践報告をした現場スタッフの方お一人お一人が、「その支援をして、自分の考えがどう変わったか」「何を考えたか」ということを発表していたことでした。現場を離れて感じるのは、「支援スタッフにとって技術や知識よりも“哲学”が大切なのではないか」ということです。もちろん技術・知識も大切ですが、“自身で悩んで見つけた哲学”という根っこのない支援は、利用者さんのみならず、いつかスタッフ自身を苦しめることになるのではないか、と感じるのです。なんのためにこの支援をしているのか、自分はどこに向かおうとしているのか、それを見失うことにつながるのではないかと感じます。 そうならないために、その法人様は上記のような取り組みをしているのではないか、と思いました。その支援をしたことで自身が感じたこと/変わったことをまずチームで共有する、ということをされているそうです。それらをお互いに尊重しあいながら、この実践報告会の場で言葉にして外部の方に伝える、というプロセスを経ることで、現場スタッフお一人お一人の哲学が積み上げられていくのではないか、と感じました。 この実践報告会を開催するまで、ものすごい準備をされたのだろうなぁ・・・と感じました。どの法人様も、利用者さんに「その方らしい生活」を送っていただきたいと思い、様々な取り組みをされておられます。もちろんなにわの里もその一つです。ただ、なにわの里も含め今まで小池が見てきた取り組みは、どうしても目先の効果や数字に囚われてしまい、根っこのところに届いていないものが多かったように思います(すべてではありません)。どうしたらいいんだろうなぁ。。。と悩む中、今回素晴らしい取り組みに出会うことができました。それを実践していくのは並大抵のことではありませんが、今回学んだことを少しでも、なにわの里、また障碍者福祉の現場に還元していけたらと思っています。(小池)
支援と想像力と白黒テレビ
小学校時代、男の先生に担任を持ってもらったのは2年生の1年だけで、ナカジマ先生という方でした。お顔ははっきりと思い出せない…のですが、教えて頂いたことを明確に一つ覚えています。 ちょっと表現に問題があるかもしれませんが、当時の原文ママで書かせて頂きますと、 “ ラジオはかまへん。 白黒テレビはちょっとあかん。 カラーテレビはあかんで! ”というものでした。 テレビに関して言われることと言えば「目が悪なるで」だけだったので、変わったことをいう人やなと思ったのですが、想像力のことを言ってるんやなというのは子どもながらにわかりました。 その後、小池はカラーテレビを見まくって育ったわけでありますが(白黒テレビはもうなかった・・・)、自分に子どもができて、ナカジマ先生の言葉を思い出すことがありました。 娘二人(小3・小1)は妻と妻の両親の影響からか、割と本を読む方なのですが、「これはこれでまあええことなんやろな」と感じながら見ています。学校の宿題などを一緒にしていて、小池が「これはこういうことなんやで」と教えると、「ほんまにそうなんかな、花蓮はこう思うんやけどな」と自分の意見を返してくることがあります。まあ、本を読む/読まないの影響がどこまであるかは分からないですし、親のひいき目もあるのですが(笑)、“その先にあるものを想像し、相手に伝えようとする”という力はとても大切なものだと感じます。 これは支援の場面でも言えるのではないか、と感じます。もっと言えば、人同士が関わる全ての場面で大切なことなのだと思いますが、 「あの利用者さんは今どう思うてはるんやろうか」 「この支援を継続して、その先にどんなことがあるんやろうか」 と肩の力を抜いて、腹に力を込めて考える力というのは、支援者として大きな助けになる、と感じます。(小池)
技に溺れるべからず
2月21日(金)はオープンセミナー“事例発表会”であります。今、この原稿を書いているのは2月18日なのですが、今、発表者たちは気が気でない毎日を送っております(笑)。 小池も一度この場に立たせて頂いたことがありました(写真は当時の自分であります)。ちょうど今から10年ほど前のことで、28・29歳くらいだったと思います。現場の事も分かり始めてきて、「根拠のない自信」とでも言うのでしょうか、そんなものに溢れていた時期でもありました(お恥ずかしい・・・)。 発表を終え、「よっしゃ、どうだ!」くらいの気持ちでいました(お恥ずかしい・・・)。質疑応答の時間になったのですが特に手が挙がらず、ある支援者の方にご感想を伺う・・・ということになりました。その方が開口一番仰ったのは、「技に溺れているな・・・という印象でした」という言葉でした。 そのときは、その言葉の意味が十分に理解できていませんでした。いくつかの支援を盛り込んだ事例だったので、「もっとシンプルにやった方がいいよ」くらいのご指摘なのだろうか・・・と思っていたのですが、今になって考えるとその方は「そんなもん、お前のやりたいことやっただけやんけ」ということをマイルドに指摘してくださったのだな・・・と理解することができます。 当時の自分なりにその方の困りごとを捉え、その解決策を考えたつもりでした。が、その方やご家族のペースにあっていなかったのは、今考えると明らかで、ご本人・ご家族はもっとゆっくりしたペースを望んでおられたのではないか・・・と顔を覆いたくなるような恥ずかしい気持ちになります。 知的障害のある方々は変化が苦手・・・などと言っておきながら、一方でご家族が戸惑うようなペースの支援をしてしまったことを大変申し訳なく感じます。当時は気づけなかったこと、今は理解できること、そんなことを少しでも後進に伝えていけたら・・・と思っています。(小池)